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2010年02月19日

開高 健 著『私の釣魚大全』を読んで。その6

その6『カジカはハンマーでとれること』を読んで。


「…冬は谷川の水がかれ、鮠は石垣の根の穴に身をひそめてゐる。
 それで私は釣竿の代わりに大きな玄翁を持って川におりて行き、
 鮠の身をひそめてゐる岩を満身の力をこめて
 玄翁でたたくのである。…」


井伏鱒二氏の『川釣り』の一節が紹介されている。

なんと。。。
絵を見ているような文章である。
情景を物語り、魚を物語り、
そこに一つの物語が語られる。
今度、読んでみるとしよう。


今回は玄翁(ハンマー)で魚を釣るお話である。
玄翁:げんのうと読む。
うちの親父がカナヅチの事を玄翁と呼んでいたのを思い出した。
懐かしい響きに、ふっと子供の頃の風景が甦る。

『心がだんだんせいてくる。ドンブリ鉢が浮いてくる。
 やってみよう、やってみようといってそそのかすものが顔を出す。
 私は本を閉じながら、ウン、これはどうも子供の遊びでは
 なさそうだぞと思う。子供になることを求めているはずなのに
 一応はそういって聞かせるわけである。』


そう、子供の頃の釣りは、子供ながらに、
子供の遊びとは思っていなかった。。。
竿や仕掛けは稚拙かもしれないが、本気の釣りであった。
今でも子供の頃の釣りをなつかしく思い出す事がある。

子供の頃の釣りとは、子供の遊びの釣りではない。
子供の頃に夢見た、未知の世界への挑戦の、
こころ沸き立つ冒険の釣りなのだ。


『魚とりはプレイである。
 魚とりを生業とする人は別だが、
 それ以外の人は、プレイとして魚をとる。
 そのことに唯一の救いを求めている人も多い。
 ・・・
 魚は人よりもはるかに古くからこのテラ(地球・土地)の
 先住者である。人はずっと遅れてやってきて、魚と同棲し、
 やがてそれを超え、ついで侮辱しはじめ、誇りに酔い、
 いまはむしろ好敵手が減りつつあるので狼狽しているが、
 殺生は辞められないという段階である。
 ヒトはたいてい魚の食う自然の一片を餌にして魚を釣って
 技と知恵を誇っている。または魚の心を読みとったと思って
 格闘後に満身へ清浄の、言いようのない愉悦をおぼえて、
 きびしくもあどけない誇りに浸る。 』



きびしくもあどけない誇りに浸る。。。

深い言葉である。

『私の釣魚大全』に書かれている言葉は、
自分が齢を重ねた分、より琥珀色に響く言葉となるように思えます。

以上『カジカはハンマーでとれること』を読んで。



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